2011年5月4日水曜日

【0503】

私はまだ海岸近くに行っていない事もあり、ぱっと見だけでは被害があった事が分からない、注意して見れば分かる傷跡も少しづつ確実に修復されつつあるという時間の経過も感じます。能登震災や金沢であった浅野川の浸水被害では、今回の被害とは比べ物にならないかもしれませんが、予想以上に早くがれきや泥が撤去され、一見健全な生活が取り戻されている様に見える状態に戻る時間が早かった事への驚きもありました。
現実に罹災した方は、目に見えない様々な困難が継続し続けるのですが、被害を受けていない他者は、この視覚的変化によりどんどん鈍感になり、忘却し、その事実を知るきっかけさえつかめないまま「この地域は被害が少なかった様だ」などど早合点して通り過ぎる、という事が起こるのだろうと思います。
素早い復興は当事者にとってもちろん喜ばしい事であり、一日でも忘れたい記憶でもあります。これはあくまで罹災していない人間のエゴと偽善かも知れませんが、罹災した方々の体験や記憶、都市に確実にいま残っている傷跡を、全く払拭して隠すのではなく、しかし建築家の奇麗ごとで建てられるメモリアル建築ではなく、かさぶたの様に不細工でも真実である、記憶の共有を少しでも可能にするきっかけとなるようなものを残すという事も、歴史家ができることの一つではないかと思います。

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