2011年5月6日金曜日

【0505】私たちに課された課題

本日は最終日です。村松研メンバーのうち私以外の5名は、所要のため午前中までで調査終了、私は夕方まで調査して帰京しました。
私の調査地域は、昨日調査した地域の隣で、七北田川とJR東北線に挟まれた地域です。川沿いの地域だからか、建物周辺の地盤が落ちてしまい、凸凹が生じているような箇所が多く見られました。建物本体については、比較的新しい建物が多かったからか、被害は少なかったのですが、中には全壊や大規模半壊等の建物も見られました。
私たちの活動は本日で終了しますが、被害認定調査自体はまだまだ続きます。内閣府が想定しているり災証明発行の目安は、震災後一ヶ月となっていますが、仙台市の場合は都市規模が大きい上に被災範囲も広範にわたるため、2ヶ月近くたった連休明けからようやく発行が始まるという状況です。り災証明の発行が遅れるということは、被災者生活再建支援法に基づく支援が遅れるということで、建物の修理ができずにそれだけ不便な生活を強いられる期間が長くなることを意味します。建築を学び、また内閣府の被害認定に関する調査業務を受けてきた者の責務として、今後もなるべく早いり災証明発行に向けてできることを考えて生きたいと思います。そのための第一歩として、今回の活動の経験をメンバー間で共有し、今後に向けた改善点等について考えていきたいと考えています。
また、4日間調査しているなかで恥ずかしながら最終日に初めて気づいたのが、住民の方が口にする「投げる」という言葉の意味です。ゴミの投棄のことなのですが、仙台市では現在家庭用ゴミについては通常通り収集しているとのことですが、震災による家具や食器については、震災仮ごみ置き場に住民の方が自分で持ち込むという形式になっています。住民の方が「投げてきた」というのは、後者のほうで、震災仮ごみ置き場が各区に一箇所しかないこともあり、車で持ち込まないとならないため、後片付けがなかなか進まない一つの要因となっているようです。
今回の活動は、り災証明の早期発行を実現するという意味で、被災地の方を間接的にサポートすることにはつながるという点で、有意義な活動であったと自負しています。一方で、我々のような立場では、上記のような「ごみを早く片付けたい」とか、「住宅を早く補修したい」といった直接的な住民の方の要望にこたえることはなかなかできません。一回限りの活動で満足してしまうのではなく、今回の活動を通して目にした被災地の現状から、中長期的に被災地に対してできることを考えていくことが、私たちに課された課題なのかもしれません。(岡村)

【0504】未来の地震対策に向けて

本日も村松研は6人での参加で、一昨日、昨日に引き続き、岩切地区にて調査を実施しました。
岩切地区は、仙台市の北東部に位置する宮城野区のなかでも北部に位置し、地域の中央を七北田川が流れています。一昨日、昨日と調査したのは仙台バイパス沿いの地域で、土地に起伏があり、造成された土地の地盤が崩れて建物にも被害が及んでいるような住宅が多く見られました。一方、本日調査したのは、拠点である宮城野区役所からみると、七北田川を超えてレンタカーで15分から20分程度、JR東北本線岩切駅近くの地域です。この地区は平坦で、ほとんど被害が見られないような建物と、大きな被害があり既に取り壊してしまったものが入り混じっているような状況です。なかには、1978年の宮城県沖地震の災害を覚えていらっしゃる住民の方もいらっしゃり、その方によると今回の地震の揺れは宮城県沖と同様であったとのことです。
その日の夜に目黒研究室の沼田先生からもご指摘いただいたのですが、今回のような地震が発生した際に、過去の地震被害の経験を生かすことができよう分かりやすい形で提示することは、歴史を研究するものができることの一つなのかもしれません。また、今回の地震被害も、未来の地震対策に生かすためにも、被害認定調査による現況把握を正確に行うことが重要だと考えます。(岡村)

2011年5月5日木曜日

【0504】変わるもの、変わらないもの

ようやく調査の勝手も分かってきたところですが、今日と明日の午前で調査はおしまいです。今までで一番多く、70件以上を回りました。前半は昨日の続きの比較的古い住宅地(土手外東)を、後半は七北田川を挟んだ反対側の新興住宅地(洞ノ口)を調査しました。

実は70件という調査件数にはカラクリがあって、後半の方は被害のない建物が半数以上あって調査にあまり時間はかかりませんでした。一方で今日は住民の方とお話をする機会が多く、同じ地域でも被災程度や建物の築年数によって反応はだいぶ異なると感じました。



被害の大きい住宅の方は細かい部分もしっかり見てほしいという印象を受けます。(被害程度によって補助の種類が変わってくることもあると思いますが)逆に新築や被害の少ない家はそもそも調査員の立ち入りを好ましく思わなかったり、「あまり大きな被害じゃないですよね?」という具合で大きな騒ぎにしたくないという感じが伝わってきました。被害の種類や住人の方の反応は千差万別ですが、どの方も近隣の被災状況はかなり把握しているようでした。 




被害そのものでいえば、やはり建物の築年数によって一見した様子はだいぶ違います。ただ、今回の調査地域全体として近所で農業をやっている方が多く、もう 作業を再開しているようでした。というよりは家庭農園を持っている家が多いのか、写真のような土地が目立ちます。被災地には一刻も早くハード面の整備をす る必要があると思いますが、同時にこの農園のように震災前とそれほど変わらずに続けられることをサポートしていくことも重要だと思っています。 (金指) 


【0503】被害状況は千差万別

 被害認定調査2日目です。今日は朝から晩までみっちり調査を行いました。要領が分かってきたので始めはスッと進んでいくものと思っていたものの、予想以上に時間がかかりました。


キッチリ機械的にはなかなか進められないと言う方が正しいかもしれません。被害判定のマニュアルや被害程度の分類も提示されているものの、ハッキリ言って「同じ状態」だと判定できる建物は「無傷」のものだけで、建物の用途・築年数・地盤の状態などによって被害の様子はそれぞれ違っています。なかなか簡易的な分類に収めるのが難しいと感じました。住民の方の家屋に対する自己評価もかなりの差があるようです。誰もが納得する評価指標を作るのは難しいと思いますが、逆に自己評価がある程度正しい場合でも行政などオフィシャルな立場の人が判定をすると安心してもらえるということもありました。



また、実は地震の被害は、「人間が作れないもの」にも表れているようで、このような亀裂の入っている樹木も見られます。建築を学ぶ立場としては、建物や道路は修復することができるけれど、自然物の破壊に対する反応は文字通り「想定外」の状況です。これを地震による負の象徴と捉えるか、地震を受けて生き残る力強さと捉えるか。今までは仮にこういったものに関わるとしても「保存」か「撤去」しかありませんでしたが、それ以外の関与方法があるのではないかと思える一コマでした。 (金指) 


【0502】調査初日と雑感

 今日から本格的な被害調査です。具体的な人数は聞いていませんでしたが仙台市のほか、東京大学村松研究室、目黒研究室、富士常葉大学、横浜市役所、愛知県などから応援やボランティアが来ていて、20名強というかなりの大所帯で調査が始まりました。基本的にはだいたい、行政の方と学生ボランティア1名ずつの2人一組で、宮城野区の岩切地区というところをくまなく回ることになります。
 こういった調査に学生や学会のサポートが入ること、従来は申請のあった物件だけを被害認定していたところを全棟調査という形でしらみつぶしに見ていくことなどは、特殊な事例だそうです。今回の調査の緊急性が伺えました。



 調査そのものは最初は戸惑いがあって、どの場所を見ればいいか分からないという感じでした。やはり事前に行ったシミュレート通りにはいきません。例えば日本の家屋は屋根が目立つため、瓦にダメージがあると一見して被害が大きいように思いますが、よくよく見ると建物そのものには影響が無いようなこともあります。加えて地図上の物件が実際には取り壊されていたりと、(震災前のことかもしれませんが)思うように進みませんでした。
  
 


そんな中で一つ思うことは初日のブログにも書いたように、地域に根差したものが残っている様子はいくつかあったということです。これを具体的にどうするのか は分かりませんが、このような未曾有の震災に対して村松研究室として、あるいは建築史という立場から関わるきっかけになるのではないかと思いました。 (金指) 


 

2011年5月4日水曜日

【0503】

私はまだ海岸近くに行っていない事もあり、ぱっと見だけでは被害があった事が分からない、注意して見れば分かる傷跡も少しづつ確実に修復されつつあるという時間の経過も感じます。能登震災や金沢であった浅野川の浸水被害では、今回の被害とは比べ物にならないかもしれませんが、予想以上に早くがれきや泥が撤去され、一見健全な生活が取り戻されている様に見える状態に戻る時間が早かった事への驚きもありました。
現実に罹災した方は、目に見えない様々な困難が継続し続けるのですが、被害を受けていない他者は、この視覚的変化によりどんどん鈍感になり、忘却し、その事実を知るきっかけさえつかめないまま「この地域は被害が少なかった様だ」などど早合点して通り過ぎる、という事が起こるのだろうと思います。
素早い復興は当事者にとってもちろん喜ばしい事であり、一日でも忘れたい記憶でもあります。これはあくまで罹災していない人間のエゴと偽善かも知れませんが、罹災した方々の体験や記憶、都市に確実にいま残っている傷跡を、全く払拭して隠すのではなく、しかし建築家の奇麗ごとで建てられるメモリアル建築ではなく、かさぶたの様に不細工でも真実である、記憶の共有を少しでも可能にするきっかけとなるようなものを残すという事も、歴史家ができることの一つではないかと思います。

2011年5月3日火曜日

【0503】まちが望むもの

一日遅れの5月2日から調査に参加している 村松研修士2年 簗瀬亜沙子です。

これまで繰り返しテレビで見てきた津波の被害と昨日今日の調査から、被害の状況が場所によって実に様々なことがわかりました。
まず率直に、まちの復旧・復興を考えていく上で、今回の調査地区は一つのモデルになるのではないかと感じじました。海岸部程の被害は受けていなくとも、一つ一つ見ていくと確実に被災しており、その状況は建物以外の、直接話さないとわからない人々の心からも薄らと感じ取る事が出来ました。そうした意味で、今後、村松研として何かの形で関わっていくべき場所の一つにふさわしいのではないだろうかと感じました。

しかし、外部の私達がどのように人々の心の中に入っていけばよいのか、歴史的視点でまちは何を望むのか、二日間の悉皆調査を終えても微かなイメージすらできていません。まちは何を失い、何が残り、そして何を得たのだろうか。残された調査を通じて、少しでも見つけられたらいいなと思います。また、せっかく仙台調査に参加できたのだから海岸部の視察も出来たらと思います。(簗瀬)

【0503】協働について

本日も、昨日に引き続き、被害認定調査を行いました。村松研究室も6人での参加です。
今日は休日ということもあってか、住民の方が自宅にいらっしゃることが多く、調査の家庭でお話しする機会も多く得られました。そうしたなかで、被害が大きな住家においてもなかなか修復等が進まない理由として、業者の方の順番待ちもしくは、資材の入荷待ちといった点が挙げられました。甚大な被害をもたらした津波被害の復旧の方が優先され、各地に点在する地震の振動被害については後回しになっているのかもしれません。
また、昨日の記事にも書きましたが、今回は横浜市の職員の方と、学生が二人ペアになって調査を行っています。自治体職員の方は、我々に比べて、やはり住民の方への対応になれていますし、また住民の方も遠方の横浜市からサポートでやってきたということで、信頼を得やすいということもあり、調査をスムーズに行うことができていると思います。
さらに、今回の場合は、仙台市の固定資産税課の方がホスト役なのですが、人員が足りていないため、地図の出力等のサポートを、愛知県の自治体職員の方が担っています。また、撮影した写真データ管理については、地域安全学会に参加している目黒研究室の方がサポートしていました。非常時においては、こうした寄せ集めの人員をうまくマネージメントする柔軟な対応が重要であると感じました。(岡村)

【0502】実査開始

本日から被害認定調査の実査を開始しました。村松研究室のメンバー7名を含む地域安全学会16名、横浜市役所から11名の計27名での大所帯での調査です。場所は、宮城野区岩切で、地震による振動被害が多くみられる地域です。これまでは、住民から申請があるたびに、随時調査を行っていたのですが、今回まとまってボランティアが集まったこともあり、同地区を悉皆調査することになったとのことです。
午前中に、調査方法に関するレクチャーを受けた後、午後から現地に入りました。地震の振動被害はそれほど見られないといわれていた今回の震災ですが、実際に現地に行ってみると屋根や壁面に相当の被害を受けた住家もあり、中には地盤そのものに大きな被害がある住家も見受けられました。震災から一ヵ月半以上建つにもかかわらず、補修等が進まない家も多く、今回の被害認定調査が一刻も早い同地区の復旧の一助となれば思いました。
今回の災害においては、海岸から一定のまとまった範囲内に甚大な被害をもたらした津波の被害に比べ、地震による振動被害は被害程度も津波ほどではなく、また被害の大きい場所がどのあたりに分布するのかが読みにくいために、岩切地区のような場所の認知が遅れたのかもしれません。特に仙台市のような大都市の場合、市域が広いために市の職員のみで市域全域を悉皆調査することが難しく、今後の大都市での地震被害を把握する際には、同様の課題が想定されます。
被害認定調査は基本的に自治体業務であるため、なかなか自治体職員以外が関わることは無いのですが、今回のような地域安全学会を通して建築学科の学生が調査をサポートするような形式が、今後の被害認定調査における民間支援のあり方の試金石となるのかもしれません。(岡村)

2011年5月2日月曜日

【0502】本調査初日の概要と雑感

今日は被害認定調査の本調査初日。

午前中に仙台市の職員の方と富士常葉大学の田中聡教授から被害認定調査についてのレクチャーを受け、午後から車で移動して調査を行いました。
私たちの調査グループには、地域安全学会として東京大学目黒研究室と村松研究室が参加し、行政の応援として横浜市の職員の方々が参加されました。
午前中のレクチャーでは、被害認定調査の意義や、内閣府が示した基準とそれを仙台市が一部変更した点などについてレクチャーを受けた後、阪神淡路大震災のときに撮られた写真を使った判定練習を行いました。
午後からの調査作業は、仙台市宮城野区北部に位置する岩切地区を対象に、横浜市の職員の方と学会側の学生が2人1組のペアになり分担して行いました。調査フローに沿って担当区域内の建物を1棟ずつ回って損害の度合いを調査していきました。
約4時間半の調査の後、区役所に戻って調査後ミーティングを行い、今日の調査結果の提出と調査に関する意見交換を行いました。

今日の調査を通して、私が個人的に感じたことは大きく分けて以下の3つです。
1つ目は、制度は人間が作っているものであるということ。特に今回の調査の被害認定基準は内閣府が基準を示しているものの、それは絶対的なものではなく、各自治体の判断で基準の設定や点数の設定を行ってよいという弾力的な運用がなされていたことから、レクチャーを受けるなかで、基準と弾力的運営とのバランスの取り方について考える必要があると感じました。
2つ目は、被害程度の小さい建物がとても多いこと。普段メディアを通じて目にする被災地の建物の写真では「全壊」と判定されるような大規模な被害を受けたものが少なからず見受けられますが、レクチャーや調査を通じて、「全壊」と判定される建物の数をはるかに凌ぐ数の建物が「半壊」や「半壊に至らない」と判定されているのだという当たり前の事実を再認識しました。
3つ目は、被災地の役所に多くのリソースが足りていないこと。今回の調査でも担当者の数や設備が足りず様々な条件が限られたなかで運営されているのだということを感じ、人員や設備といった物的なものはもちろん、業務を効率化するシステムやノウハウの支援が必要なのではないかと感じました。

明日からは、丸1日かけての調査が始まります。少しでも仙台市と市民の方々の役に立ち、また、一人の建築を学ぶものとして一つでも多くのことを感じ取って帰りたいと考えています。(島)

【0501】ここから何ができるか

5月2日からの調査に向け、仙台市の被害状況の視察をしました。
仙台市駅周辺の市街地では、外壁の剥落などといった被害状況が少しは伺えるものの、日常を取り戻している様子でした。レンタカーを借り、宮城野区仙台港周辺から資料閲覧のため青葉区の広瀬図書館に向かい、その後若林区の荒浜地区を見ました。
津波の映像を画面で見ている時には「信じられない」という感想を抱くことが多かったのですが、実際に現地に入って見ると、映像で見ていた被害状況を想像できる光景が広がっていました。
写真は仙台市若林区

ただ、私は実際にこの光景を見ても、受け止めることができませんでした。自分とは遠いものであるように感じてしまいました。
途中、瓦礫の中で何か家の大切なものを探しに来たのかもしれない方々を見かけることがありました。私も視察で来ているとはいえ、顔向けできないと感じました。そして、実際に被災者の方のためにアクションを起こすことがあるとしたら、できるだけ人の心に寄り添うことが大切だと思いました。

また、私は今回の仙台調査のブログ管理を担当しています。
ブログの他、Twitterによる即時的な情報発信、位置情報の取得などを行いました。位置情報の記録により、仙台チーム以外の研究室メンバーとの連携や、後々の情報整理などに役に立たせたいです。今回の調査を通じて、こうした情報発信の可能性も考えていきたいです。(近藤)

2011年5月1日日曜日

【0501】復興のカギ

今回の被害認定調査でお手伝いをする、村松研究室修士2年の金指です。今日は急遽、事前視察という形で仙台市の数か所を回りました。後半は車も運転させてもらい、最近は非難される一方の都市インフラがどれほど重要なものなのかも再確認しました。被災者の方にとっても、被災地を車で移動できることは大きな力になると思います。全体としては、やはり津波の被害を甘くイメージしていたことを改めて思いました。



「どう考えればいいかわからない」というのが正直なところです。ですがあえて言えば一口に震災といっても様々な形の爪痕があると感じました。津波によって以前の面影が分からないほど被害を受けている場所も、逆に被災前の状態を想像できてしまう場所もあります。個人的には後者の方、つまり街区はある程度残っているが随所に大小様々なダメージがある場所の方がズキッとくるものがありました。
ただ、逆にこのような場所に残る「昔を想像できるもの」が復興のカギになるのかもしれません。今日の最後に見つけた、ガレキの足元に芽生えたスイセン。ボランティアという立場ではありますが、建築や都市の研究にかかわる身としてこのような「まちの息吹」を見つけていければいいと思っています。  (金指)


【0501】被害状況と雑感

岡村さんの記事にある通り、今日は明日以降の調査に向けた被害状況の下見を行いました。
明日以降の被害調査対象地である仙台市宮城野区(仙台市の北東に位置し、仙台駅から太平洋までの地域)を中心に、津波被害の大きかった若林区(宮城野区の南側)の荒浜地区と、仙台駅以西の青葉区の一部を車で回りました。
仙台を何度か訪れたことのある私にとって、仙台市内の震災被害がどれほどのものであるのか、非常に気にかかっていましたが、仙台駅とその周辺の現状には大変驚きました。一部には外壁にヒビが入り表面のタイルなどが剥落しているものも見られたものの、ほとんどの建物には外観から見てわかる大きな損傷はなく、仙台のまちも活気に溢れていたからです。いくら1ヶ月半が経過しているとはいえ、一見して震度6弱の地震が襲った地域とは思えない光景でした。
しかしその後、太平洋側に向かうと途中から風景が変わり始め、津波の被害地域に入ったということが路肩の瓦礫からわかりました。そして、海沿いの地域に入った頃には、1階部分を完全に津波に飲み込まれ、骨組みがむき出しになっていたり、その骨組さえも押し流され、一部2階が浮いているような住宅も見受けられ、津波の破壊力を見せつけられました。
同じ仙台市の中でここまで異なる被害状況の2地域が車でたった30分ほどの距離しか離れていないというのは、震災だけでない津波の被害の甚大さをありありと見せつけられたように感じました。
しかし、また同時に今日一日外観を見て回っただけではわからなかったものも沢山あるのだろうということも感じ、津波被害にあった住宅の片づけをしている人々を見て震災以後の住民の暮らしぶりの変化はいかなるものがあったのだろうかと思いを巡らせた一日でした。(島)

【0501】被害状況の下見

当初、今日から被害認定調査を開始する予定でしたが、先方の都合で実査は明日からとなりました。そのため、本日は、明日から調査が想定される宮城野区の海沿いの地域を中心に、レンタカーを使って建物の被害状況を下見することとしました。
まず、仙台駅から車で津波による大きな被害を受けた仙台港方面に向かいました。途中までは、外観から見る限りほとんど震災の影響は見受けられなかったのですが、仙塩道路を越えたあたりから急に津波によって流された瓦礫や土砂などのほか、建物への大きな被害が見られるようになりました。テレビ等を通じ映像では見慣れてしまっている光景が、いざ現実として目に入ってくると、あらためて津波の威力にただただ驚かされるばかりでした。
仙台港フェリーターミナルの様子を見た後、港湾を超えて、工場と七北田川に挟まれた住宅地を通り抜けました。私もこれまでに、小千谷市では地震被害を、さつま町や美作町では水害被害をみてきましたが、津波被害はそのいずれとも異なり、ほとんど瓦礫の中に街が埋まっているかのような状況でした。
震災前とほとんど変わらないかのようにみえる仙台駅中心部とのギャップに驚かされるとともに、地震から一ヶ月以上たった今でも、まだ復興に向けた道筋が見えない地域がこんなにも広がっていることを知り、明日からの被害認定調査の重要性を再認識させられた一日でした(岡村)

いざ仙台へ

5月1日から5日まで、東日本大震災の被災自治体支援のため、村松研究室のメンバーで、仙台市宮城野区における「被害認定調査」をボランタリーにサポートすることになりました。地域安全学会の活動に参加する形となります。
「被害認定調査」とは、災害により被災した住家の被害程度を認定することを指し、調査結果に基づいて、自治体が被災者に対して「り災証明」を発行します。「り災証明」は、「被災者生活再建支援法」に基づく支援金額の根拠となるほか、固定資産税の減免や、仮設住宅の入居基準、民間の地震保険額の算出にも使用されることがあり、被災者の生活再建に向けた第一歩につながる非常に重要な書類です。
当ブログでは、そうした被害認定調査に関するボランティア活動の内容を日々報告するとともに、建築・都市を研究する者として、今後どのようなことができるのか、被災した都市・建築を目にしながらメンバーが感じたこと、考えたことを発信していきたいと思います。
よろしくお願いいたします。(岡村)