2011年6月9日木曜日

【0505】 伝統的構法の木造建築の全壊判定について

 今回の調査地域は農村集落だった名残も見られ、土壁を用いた伝統的な木造住宅が全壊判定を受けたと聞いて道すがら訪ねました。
 

 中々衝撃的な状態ですが、前夜に
「全壊判定を受けても伝統的な工法で建てられた日本の木造住宅は修理が可能だ」
と目黒研の方々に酒の勢いで啖呵を切ってしまった手前少し書かせていただきます。

 まず、これでも直せるか、と言う問いに対してはYESです。が、お金がかかります。現代の日本では費用対効果を考えると建て壊されるでしょう。RCやS、集成材造と違って無垢の木造は軸組みが折れても根継ができるので、やってやれないことはないです。ただ極論をいうとお金をかければRCもSも直せるという話にもなりますが。

 さらに建物を見ていくと正面左側に大きく傾いている二階建ては隅が通し柱になっていません。このため胴差から上が一階から切り離されて傾いています。二階か、もしくは二階建ての部分を後年増築した可能性があります。また、二階の壁面にはトタンの下に筋交いも見られ、戦後の工事である可能性が高いです。 

 平屋の主屋を見ていくと、切妻の玄関ポーチがばったり倒れていますが、構造上重要でないのは言うまでも無く、この様な形式のポーチを東北の平入りの民家に増築することが流行ったようで 、(注1)主屋との接合が甘く、後年の増築の可能性が高いです。 
 さらに内見をしたところ天井が張られていたため何ともいえませんが民家のオエに見られるような梁組みが確認できませんでした。 

 このため、平入りの茅葺を瓦に拭き直した民家に玄関ポーチを付けるのが流行った時期に、同じような構成で新築した比較的新しい住宅建築である可能性もあります。地方では戦後でも左官職人が残っていれば土壁が用いられた可能性があり、土壁=戦前の建物とは言い切れません。しかし物資が乏しく戦後は軸組みが細くなった可能性は高い。柱寸法も目視で3.5寸前後と細く、北陸の民家基準であれば残念ながら立て壊しをお勧めする物件と状態です。
 
 が、もしどうしても直して住みたい、というお客さんがいたら、平屋の比較的健全な主屋の軸組みのみ残して、玄関ポーチを付けたければ柱を太めに復原し、基礎を打ち直して耐震改修します。しかし東北の民家については勉強不足で、今回見られた伝統的工法の木造建築は3棟とあまりにも少なく、比較材料が少なすぎるのであくまで中山のつたない私見として参考程度にご理解ください。またご批判、ご意見等ありましたらお知らせください。

 (注1) 白井 沙知 他「伝統的民家の改変に関する研究
      : 宮城県の茅葺民家を事例として」
      日本建築学会東北支部研究報告集2009 など参照。


  これで一体何が言いたいのか、と言うことですが

 1 被害認定で解体が優遇されすぎている。
   基礎支援金+解体費用のみお金を出すのではなく、
   基礎支援金+耐震改修費用もあってしかるべき。
  (解体か耐震改修かを持ち主が選択可能)

 2 すべてが難しいのであれば、歴史的に、
   もしくは町並み形成に重要と判断される建物のみでも
   基礎支援金+耐震改修費用を受け取ることができる体制を作る。

 3 一口に伝統工法、などといっても設計や意匠、素材や状態などの
   良し悪しがあり、判断や改修には専門の知識が必要。
   これは伝統工法以外の近代建築、現代建築などにも言え、
   歴史家が町並み形成に重要な建築の診断士として関わる可能性がある。

 4 できれば震災が起きる前に建築の悉皆調査を地域ごとに行い、
   築年数等基礎調査を済ませて被害認定の基礎知識として
   使える様データベースを構築すべき。

 5 「伝統工法」はそもそも影国社の『建築大辞典』にも定義が無く、
   研究者によっても壁重視や軸組み重視で意見が分かれている。
   早急に定義と工法の優良性やデメリットを整理し、
   現場で使える診断法や耐震改修法をマニュアル化すべき
   (京都・金沢では進んでいる)

補足  5.の理由から文中の言葉の定義もあいまいです。すいません。

以上のような事で、罹災した街並みを守る、記憶を残す、ということが現実的に可能になるのではないでしょうか。(中山)

【0505】 全壊判定建物、設計事務所が関わった建物

 今日の調査は半日のため昨日までとは異なるペアとなり、調査街区も昨日までの新興住宅地から、少し農地も残るエリアが担当になりました。調査対象は木造の比較的新しいハウスメーカー系の住宅が主で主でしたが、設計事務所が関わっているRCの建築もあれば、全壊判定を出した木造住宅もありました。 全壊の木造住宅は長らく空き家だった様で状態が悪く、造成した地盤が下がって部分的ですが建物の傾きがありました。下降した地盤に建っていた石塀や塗り壁、ガラス建具も落下して危険な状態でした。



 設計事務所が関わった建築にも被害はありました。メインの構造体はRCと思われますが、厳密にはRCとSの混合造の様です。


地盤の悪さを想定して、くい打ちの上(住人談)、地盤からRC柱を斜めに突き立てる様にした構造で、堅固に設計したと見え正面のガラス、壁面の被害はほぼ皆無でしたが、基礎に被害が見られ、地盤の悪い地域での設計の怖さを感じました。(中山)

2011年6月8日水曜日

【0504】応急危険度判定の危険建物

 今日も昨日と同様横浜市の職員の方とペアで仕事をさせて頂きました。街区の端の大通りに面したエリアの調査があり、鉄骨の自動車工場や販売店などが調査対象に含まれました。軽量鉄骨のアパートは木造で見るとの事でしたが、グレーゾーンなものもあり、今回は軽鉄アパートもすべて非木造で見ました。(アパート類は結果はどちらで見ても一部損壊程度でした)

 

 応急危険度判定で危険判定を受けている木造住宅がありました。被害認定調査では大規模半壊でしたが、湿式で塗り回した軒裏や壁の剥落がいつ起きるか分からない事からの危険判定であるかと思われました。基礎の被害が大きく、施工上の悪さか、地盤の悪さが原因だったのかと思われましたが、私の調査範囲ではあまり見られない状態だったので印象に残りました。

 

 鉄骨で危険判定が出ていた建物は設計上無理のある構造をしており、細い柱(軽鉄?梁はH鋼)を用い、正面を柱無しのガラス張りの店舗にし、側面は片面のみ開口を多く取り、強度上もバランスもかなり悪い上、経年による軸組みの劣化も激しく、大規模半壊の判定を出しました。

 今回ペアを組ませて頂いた横浜市の職員の方は幼少期を仙台で過ごされたご経験があり、調査担当地はかつて沼地でショウブ畑だったとか、仙台の既に見えなくなっている記憶をご存知でした。沼地だったから地盤が悪い、丘陵地を人工的に宅地造成した等、土地の記憶は土地の性質を表し、それが震災を通して改めて露呈されるということが印象的でした。人工的にあらゆるものを近代化し、土地の持っていた性質を消し去ることは、記憶の保持といった精神論のみで批判することはできない問題点を孕んでいるのではないかと感じました。
(中山)

【0503】 住民とのコミュニケーションと調査効率

 今日は横浜市の職員の方とペアで仕事をさせて頂きました。調査地域は比較的新しい区画整理された住宅地です。祝日で在宅率が多い事、門や塀を越えなければ基礎・外壁の調査ができない事から、基本的に呼び鈴を鳴らし在宅であれば調査の概要を説明し了承を得た後調査という方針でした。調査をしているとご近所の方も察して待ち構えておられて、呼び鈴を鳴らさざるを得ないような状況もありました。ペアの方はベテランの男性で住民への説明・対応に慣れておられ学ぶ点も多かったです。
 また、これは昨日の調査では無かったことですが、在宅住民の方で調査に同行してこられたり質問が多い方には、その場で判定結果までお伝えしていました。半壊以上であれば日本赤十字等の支援が受けられる可能性がある、一部損壊でも罹災証明が仕事や手続き等で利用できる場合があるなど結果に応じて罹災証明がどう使えるかも解説していました。
 隠さずに説明し納得してもらえれば良い方針ですが、自治体職員としてのご経験と話術、信頼があってできる事だと感じました。昨日と比べて作業効率は低くなる為、調査棟数は一日で昨日の半日と同程度でした。
(中山)

【0502】 海岸を見るということ

 レクチャーを受けずに午後からの参加となったため、仙台駅近くからタクシーで調査地へ向かいました。仙台駅周辺は予想以上に人が多くにぎやかで、罹災した都市の一つであることが一見して分からない状態でした。
 タクシーの運転手さんからは、海側と陸側で全く被害状況が違うこと、自分は陸側の人間だから、震災直後は自分の生活再建に手一杯で、こんなに近くにいるのに海岸の津波被害の情報にはリアリティが持てなかったというお話をお聞きしました。しかし実際に現地を訪れ被害を目の当たりにする機会があり、考えが変わったそうです。

 自分も罹災者だけど、募金をするようになったし、何らかの形で津波被害に協力したいという思いが芽生えた。海側の人は「来るな」と言う人間も沢山いる。実際後ろめたさが無いわけでは無かったが、それでも現地で見ることでしか分からないことがあり、それを体験することで初めて、被害を受けた事実を共有することができるようになるのだから、見られる機会があるのであれば、見たほうが良い。

と語っておられたのが印象的でした。自分が全くのよそ者として、多分自分のために海岸へ行く予定があることへの迷いを、少し後押ししてもらえた言葉でもありました。
(中山)

【0502】 被害認定調査と支援金

 被害認定調査は、助成の上で罹災建築の解体や建て替えを優遇する傾向があるため震災時の建築の保存をむしろ阻害するものではないかという議論は以前からあります。具体的には

全壊判定  基礎支援金100万 加算金(解体時のみ支給)200万
大規模半壊 基礎支援金50万 加算金(解体時のみ支給)50万円
半壊以下  支援金無し

ただし、大規模半壊、半壊でも解体し立て替えを行うと「みなし全壊」となり全壊と同額の金額が支給される。(詳細要確認) このことから住民は地震被害を大きく見積もってもらいたいという思いを抱いている傾向があり、「みなし全壊」制度の存在からも建て替えを奨励していることがわかります。さらに、「全壊」「半壊」という言葉は、応急危険度判定の「危険」「要注意」同様特に一般の建築主にとって恐怖や不安をあおる強い言葉です。今日の田中先生の解説にもありましたが、特に伝統木構造などの木造建築は全壊判定が出されても直すことができる可能性がありますが、一般にその事実は認知度が低いと思われます。
 今日回った地域は戦後の在来木造がほとんどでドライに仕事をこなしましたが、今後保存したいと思う建物に出会った場合や、伝統木構造の町家や民家集落に当たった場合どのように対応するのがベストなのか疑問があります。建設年代で区切るのが分かりやすいですが、都市景観の保存等に重要と思われる建物には立て替えよりも修復と耐震工事を行う事を優遇する助成金制度があれば、それを判定するための学識者としての建築史家の存在意義が生きてくるのではないかと考えます。また、村松研や各自治体で行っている様な悉皆調査結果を、この制度に反映させれるシステムを構築するといった可能性もあるのではないでしょうか。(中山)

2011年5月6日金曜日

【0505】私たちに課された課題

本日は最終日です。村松研メンバーのうち私以外の5名は、所要のため午前中までで調査終了、私は夕方まで調査して帰京しました。
私の調査地域は、昨日調査した地域の隣で、七北田川とJR東北線に挟まれた地域です。川沿いの地域だからか、建物周辺の地盤が落ちてしまい、凸凹が生じているような箇所が多く見られました。建物本体については、比較的新しい建物が多かったからか、被害は少なかったのですが、中には全壊や大規模半壊等の建物も見られました。
私たちの活動は本日で終了しますが、被害認定調査自体はまだまだ続きます。内閣府が想定しているり災証明発行の目安は、震災後一ヶ月となっていますが、仙台市の場合は都市規模が大きい上に被災範囲も広範にわたるため、2ヶ月近くたった連休明けからようやく発行が始まるという状況です。り災証明の発行が遅れるということは、被災者生活再建支援法に基づく支援が遅れるということで、建物の修理ができずにそれだけ不便な生活を強いられる期間が長くなることを意味します。建築を学び、また内閣府の被害認定に関する調査業務を受けてきた者の責務として、今後もなるべく早いり災証明発行に向けてできることを考えて生きたいと思います。そのための第一歩として、今回の活動の経験をメンバー間で共有し、今後に向けた改善点等について考えていきたいと考えています。
また、4日間調査しているなかで恥ずかしながら最終日に初めて気づいたのが、住民の方が口にする「投げる」という言葉の意味です。ゴミの投棄のことなのですが、仙台市では現在家庭用ゴミについては通常通り収集しているとのことですが、震災による家具や食器については、震災仮ごみ置き場に住民の方が自分で持ち込むという形式になっています。住民の方が「投げてきた」というのは、後者のほうで、震災仮ごみ置き場が各区に一箇所しかないこともあり、車で持ち込まないとならないため、後片付けがなかなか進まない一つの要因となっているようです。
今回の活動は、り災証明の早期発行を実現するという意味で、被災地の方を間接的にサポートすることにはつながるという点で、有意義な活動であったと自負しています。一方で、我々のような立場では、上記のような「ごみを早く片付けたい」とか、「住宅を早く補修したい」といった直接的な住民の方の要望にこたえることはなかなかできません。一回限りの活動で満足してしまうのではなく、今回の活動を通して目にした被災地の現状から、中長期的に被災地に対してできることを考えていくことが、私たちに課された課題なのかもしれません。(岡村)