本日は最終日です。村松研メンバーのうち私以外の5名は、所要のため午前中までで調査終了、私は夕方まで調査して帰京しました。
私の調査地域は、昨日調査した地域の隣で、七北田川とJR東北線に挟まれた地域です。川沿いの地域だからか、建物周辺の地盤が落ちてしまい、凸凹が生じているような箇所が多く見られました。建物本体については、比較的新しい建物が多かったからか、被害は少なかったのですが、中には全壊や大規模半壊等の建物も見られました。
私たちの活動は本日で終了しますが、被害認定調査自体はまだまだ続きます。内閣府が想定しているり災証明発行の目安は、震災後一ヶ月となっていますが、仙台市の場合は都市規模が大きい上に被災範囲も広範にわたるため、2ヶ月近くたった連休明けからようやく発行が始まるという状況です。り災証明の発行が遅れるということは、被災者生活再建支援法に基づく支援が遅れるということで、建物の修理ができずにそれだけ不便な生活を強いられる期間が長くなることを意味します。建築を学び、また内閣府の被害認定に関する調査業務を受けてきた者の責務として、今後もなるべく早いり災証明発行に向けてできることを考えて生きたいと思います。そのための第一歩として、今回の活動の経験をメンバー間で共有し、今後に向けた改善点等について考えていきたいと考えています。
また、4日間調査しているなかで恥ずかしながら最終日に初めて気づいたのが、住民の方が口にする「投げる」という言葉の意味です。ゴミの投棄のことなのですが、仙台市では現在家庭用ゴミについては通常通り収集しているとのことですが、震災による家具や食器については、震災仮ごみ置き場に住民の方が自分で持ち込むという形式になっています。住民の方が「投げてきた」というのは、後者のほうで、震災仮ごみ置き場が各区に一箇所しかないこともあり、車で持ち込まないとならないため、後片付けがなかなか進まない一つの要因となっているようです。
今回の活動は、り災証明の早期発行を実現するという意味で、被災地の方を間接的にサポートすることにはつながるという点で、有意義な活動であったと自負しています。一方で、我々のような立場では、上記のような「ごみを早く片付けたい」とか、「住宅を早く補修したい」といった直接的な住民の方の要望にこたえることはなかなかできません。一回限りの活動で満足してしまうのではなく、今回の活動を通して目にした被災地の現状から、中長期的に被災地に対してできることを考えていくことが、私たちに課された課題なのかもしれません。(岡村)
東京大学生産技術研究所で都市・建築史の研究に取り組んでいる村松研究室では、この度、仙台市の被害認定調査のボランティアに取り組むことになりました。現地からのレポートを配信します。
2011年5月6日金曜日
【0504】未来の地震対策に向けて
本日も村松研は6人での参加で、一昨日、昨日に引き続き、岩切地区にて調査を実施しました。
岩切地区は、仙台市の北東部に位置する宮城野区のなかでも北部に位置し、地域の中央を七北田川が流れています。一昨日、昨日と調査したのは仙台バイパス沿いの地域で、土地に起伏があり、造成された土地の地盤が崩れて建物にも被害が及んでいるような住宅が多く見られました。一方、本日調査したのは、拠点である宮城野区役所からみると、七北田川を超えてレンタカーで15分から20分程度、JR東北本線岩切駅近くの地域です。この地区は平坦で、ほとんど被害が見られないような建物と、大きな被害があり既に取り壊してしまったものが入り混じっているような状況です。なかには、1978年の宮城県沖地震の災害を覚えていらっしゃる住民の方もいらっしゃり、その方によると今回の地震の揺れは宮城県沖と同様であったとのことです。
その日の夜に目黒研究室の沼田先生からもご指摘いただいたのですが、今回のような地震が発生した際に、過去の地震被害の経験を生かすことができよう分かりやすい形で提示することは、歴史を研究するものができることの一つなのかもしれません。また、今回の地震被害も、未来の地震対策に生かすためにも、被害認定調査による現況把握を正確に行うことが重要だと考えます。(岡村)
岩切地区は、仙台市の北東部に位置する宮城野区のなかでも北部に位置し、地域の中央を七北田川が流れています。一昨日、昨日と調査したのは仙台バイパス沿いの地域で、土地に起伏があり、造成された土地の地盤が崩れて建物にも被害が及んでいるような住宅が多く見られました。一方、本日調査したのは、拠点である宮城野区役所からみると、七北田川を超えてレンタカーで15分から20分程度、JR東北本線岩切駅近くの地域です。この地区は平坦で、ほとんど被害が見られないような建物と、大きな被害があり既に取り壊してしまったものが入り混じっているような状況です。なかには、1978年の宮城県沖地震の災害を覚えていらっしゃる住民の方もいらっしゃり、その方によると今回の地震の揺れは宮城県沖と同様であったとのことです。
その日の夜に目黒研究室の沼田先生からもご指摘いただいたのですが、今回のような地震が発生した際に、過去の地震被害の経験を生かすことができよう分かりやすい形で提示することは、歴史を研究するものができることの一つなのかもしれません。また、今回の地震被害も、未来の地震対策に生かすためにも、被害認定調査による現況把握を正確に行うことが重要だと考えます。(岡村)
2011年5月5日木曜日
【0504】変わるもの、変わらないもの
ようやく調査の勝手も分かってきたところですが、今日と明日の午前で調査はおしまいです。今までで一番多く、70件以上を回りました。前半は昨日の続きの比較的古い住宅地(土手外東)を、後半は七北田川を挟んだ反対側の新興住宅地(洞ノ口)を調査しました。
実は70件という調査件数にはカラクリがあって、後半の方は被害のない建物が半数以上あって調査にあまり時間はかかりませんでした。一方で今日は住民の方とお話をする機会が多く、同じ地域でも被災程度や建物の築年数によって反応はだいぶ異なると感じました。
被害の大きい住宅の方は細かい部分もしっかり見てほしいという印象を受けます。(被害程度によって補助の種類が変わってくることもあると思いますが)逆に新築や被害の少ない家はそもそも調査員の立ち入りを好ましく思わなかったり、「あまり大きな被害じゃないですよね?」という具合で大きな騒ぎにしたくないという感じが伝わってきました。被害の種類や住人の方の反応は千差万別ですが、どの方も近隣の被災状況はかなり把握しているようでした。
被害そのものでいえば、やはり建物の築年数によって一見した様子はだいぶ違います。ただ、今回の調査地域全体として近所で農業をやっている方が多く、もう 作業を再開しているようでした。というよりは家庭農園を持っている家が多いのか、写真のような土地が目立ちます。被災地には一刻も早くハード面の整備をす る必要があると思いますが、同時にこの農園のように震災前とそれほど変わらずに続けられることをサポートしていくことも重要だと思っています。 (金指)
【0503】被害状況は千差万別
被害認定調査2日目です。今日は朝から晩までみっちり調査を行いました。要領が分かってきたので始めはスッと進んでいくものと思っていたものの、予想以上に時間がかかりました。
キッチリ機械的にはなかなか進められないと言う方が正しいかもしれません。被害判定のマニュアルや被害程度の分類も提示されているものの、ハッキリ言って「同じ状態」だと判定できる建物は「無傷」のものだけで、建物の用途・築年数・地盤の状態などによって被害の様子はそれぞれ違っています。なかなか簡易的な分類に収めるのが難しいと感じました。住民の方の家屋に対する自己評価もかなりの差があるようです。誰もが納得する評価指標を作るのは難しいと思いますが、逆に自己評価がある程度正しい場合でも行政などオフィシャルな立場の人が判定をすると安心してもらえるということもありました。
また、実は地震の被害は、「人間が作れないもの」にも表れているようで、このような亀裂の入っている樹木も見られます。建築を学ぶ立場としては、建物や道路は修復することができるけれど、自然物の破壊に対する反応は文字通り「想定外」の状況です。これを地震による負の象徴と捉えるか、地震を受けて生き残る力強さと捉えるか。今までは仮にこういったものに関わるとしても「保存」か「撤去」しかありませんでしたが、それ以外の関与方法があるのではないかと思える一コマでした。 (金指)
【0502】調査初日と雑感
今日から本格的な被害調査です。具体的な人数は聞いていませんでしたが仙台市のほか、東京大学村松研究室、目黒研究室、富士常葉大学、横浜市役所、愛知県などから応援やボランティアが来ていて、20名強というかなりの大所帯で調査が始まりました。基本的にはだいたい、行政の方と学生ボランティア1名ずつの2人一組で、宮城野区の岩切地区というところをくまなく回ることになります。
こういった調査に学生や学会のサポートが入ること、従来は申請のあった物件だけを被害認定していたところを全棟調査という形でしらみつぶしに見ていくことなどは、特殊な事例だそうです。今回の調査の緊急性が伺えました。
調査そのものは最初は戸惑いがあって、どの場所を見ればいいか分からないという感じでした。やはり事前に行ったシミュレート通りにはいきません。例えば日本の家屋は屋根が目立つため、瓦にダメージがあると一見して被害が大きいように思いますが、よくよく見ると建物そのものには影響が無いようなこともあります。加えて地図上の物件が実際には取り壊されていたりと、(震災前のことかもしれませんが)思うように進みませんでした。
そんな中で一つ思うことは初日のブログにも書いたように、地域に根差したものが残っている様子はいくつかあったということです。これを具体的にどうするのか は分かりませんが、このような未曾有の震災に対して村松研究室として、あるいは建築史という立場から関わるきっかけになるのではないかと思いました。 (金指)
2011年5月4日水曜日
【0503】
私はまだ海岸近くに行っていない事もあり、ぱっと見だけでは被害があった事が分からない、注意して見れば分かる傷跡も少しづつ確実に修復されつつあるという時間の経過も感じます。能登震災や金沢であった浅野川の浸水被害では、今回の被害とは比べ物にならないかもしれませんが、予想以上に早くがれきや泥が撤去され、一見健全な生活が取り戻されている様に見える状態に戻る時間が早かった事への驚きもありました。
現実に罹災した方は、目に見えない様々な困難が継続し続けるのですが、被害を受けていない他者は、この視覚的変化によりどんどん鈍感になり、忘却し、その事実を知るきっかけさえつかめないまま「この地域は被害が少なかった様だ」などど早合点して通り過ぎる、という事が起こるのだろうと思います。
素早い復興は当事者にとってもちろん喜ばしい事であり、一日でも忘れたい記憶でもあります。これはあくまで罹災していない人間のエゴと偽善かも知れませんが、罹災した方々の体験や記憶、都市に確実にいま残っている傷跡を、全く払拭して隠すのではなく、しかし建築家の奇麗ごとで建てられるメモリアル建築ではなく、かさぶたの様に不細工でも真実である、記憶の共有を少しでも可能にするきっかけとなるようなものを残すという事も、歴史家ができることの一つではないかと思います。
現実に罹災した方は、目に見えない様々な困難が継続し続けるのですが、被害を受けていない他者は、この視覚的変化によりどんどん鈍感になり、忘却し、その事実を知るきっかけさえつかめないまま「この地域は被害が少なかった様だ」などど早合点して通り過ぎる、という事が起こるのだろうと思います。
素早い復興は当事者にとってもちろん喜ばしい事であり、一日でも忘れたい記憶でもあります。これはあくまで罹災していない人間のエゴと偽善かも知れませんが、罹災した方々の体験や記憶、都市に確実にいま残っている傷跡を、全く払拭して隠すのではなく、しかし建築家の奇麗ごとで建てられるメモリアル建築ではなく、かさぶたの様に不細工でも真実である、記憶の共有を少しでも可能にするきっかけとなるようなものを残すという事も、歴史家ができることの一つではないかと思います。
2011年5月3日火曜日
【0503】まちが望むもの
一日遅れの5月2日から調査に参加している 村松研修士2年 簗瀬亜沙子です。
まず率直に、まちの復旧・復興を考えていく上で、今回の調査地区は一つのモデルになるのではないかと感じじました。海岸部程の被害は受けていなくとも、一つ一つ見ていくと確実に被災しており、その状況は建物以外の、直接話さないとわからない人々の心からも薄らと感じ取る事が出来ました。そうした意味で、今後、村松研として何かの形で関わっていくべき場所の一つにふさわしいのではないだろうかと感じました。
しかし、外部の私達がどのように人々の心の中に入っていけばよいのか、歴史的視点でまちは何を望むのか、二日間の悉皆調査を終えても微かなイメージすらできていません。まちは何を失い、何が残り、そして何を得たのだろうか。残された調査を通じて、少しでも見つけられたらいいなと思います。また、せっかく仙台調査に参加できたのだから海岸部の視察も出来たらと思います。(簗瀬)
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